大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和45年(わ)869号 判決

被告人 野田唯史

昭二二・七・一三生 無職

主文

被告人を懲役二月に処する。

未決勾留日数中三〇日を右刑に算入する。

この裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は毛沢東思想を信奉する者であるが、昭和四五年三月一五日から大阪府吹田市千里丘陵で開催されていた日本万国博覧会は労働者階級に敵対するものであつて絶対反対であること、殊に右博覧会には中華民国が中国を代表して展示館として中華民国館を設置していることは中華人民共和国の支持者として決して認めることのできないことを強く訴えるため、中華民国館にモンキーレンチ一本(昭和四五年押第四八三号の一)を携帯して立ち入り、同所において出展の予想された蒋介石総統の肖像ないし胸像類その他の重要な出展物を損壊して中華民国の威信を失墜させることを企て、同年同月一六日午後六時ころ前記不法な目的を持ちかつ石モンキーレンチ一本をダスターコートのポケツトに隠し持つて右博覧会場内の揚乃藩館長の管理する中華民国館に立ち入り、もつて故なく人の看守する建造物に侵入したものである。

(証拠の標目)(略)

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、(一)本件中華民国館は「人の看守する」建造物にはあたらない。(二)被告人の本件立ち入り行為は刑法一三〇条にいう「故なく侵入し」たものではない。(三)被告人の本件行為は目的、動機、結果のいずれも違法性なく無罪である。(四)本件起訴は政治的になされたもので不当、違法であり、憲法三一条の精神に照し無罪である。と主張するので判断する。

(一)について。弁護人は、「『人の看守する』とは事実上の管理支配をいい、事実上の管理支配とは自ら又は管理人を置いて具体的に人の出入りを禁止、制限し、又は施錠等の設備を設けて事実上第三者の出入りを禁止、制限する人的物的態勢をとつていることが必要である。従つて人の出入りが何ら禁止、制限されていないで自由に放任されている建造物は人の看守するものとはいえない。本件中華民国館は業務休止中を除いては原則として観衆その他施設の利用者等同館の設置目的の範囲内の用務で出入りする公衆のために解放しているのであるが、事実上は右のような用務の有無にかかわらず自由に不特定多数の人の出入りを一般的包括的に許してこれを制限していないのが実情であり、特に人の出入りを禁止、制限したりあるいはみだりに人の侵入するのを防止するための設備を設けたりしているわけではない。従つて同館は『人の看守する』建造物とはいえない。」旨主張する。

ところで「人の看守する」とは、人が事実上管理支配することをいうが、事実上の管理支配とは弁護人主張のごとき態様の場合に限らず、官公庁の庁舎の出入口や廊下、映画館、百貨店のごとく執務中又は営業中一般に解放されており、事実上その入場につき格別の制限がなく一般公衆が自由に出入りすることができる建造物も、一定の設置目的があり一定の入館目的、用務を持つ者のために公開されている建造物であつて、みだりに人の出入りすることを防止し得るだけの人的物的管理態勢が整つていれば、現実には特に入場制限をしていないにしても、その管理者の看守内にあるというべきである。けだし右のような一定の目的のために公開されている建造物では建造物侵入罪の保護法益である事実上の平穏を保護する必要性はあるのであつて(人の住居等通常の場合と事実上の平穏の意義態様が多少異なるにせよ)、右のような人的物的管理態勢をとつているとすれば「人の看守する」建造物といつてさしつかえないからである。(証拠略)によれば、中華民国館は日本万国博覧会(以下万国博という)場内に中華民国政府が万国博の展示館用に建設し、万国博入場者の観覧用に一般公開して使用しているものと認められるので、同館のそのような性質上刑法一三〇条にいう建造物であることは勿論、館長揚乃藩の管理支配下にあり、館長自ら同館内にいて副館長兼安全組長である魏浩然以下三百名前後の警備係員を館内各所に配置して警備に当らせていたことおよび館内の構造は入口および出口のみならず入館者の館内における観覧経路まで特定されていることが認められることから館長揚の看守する建造物であると解される。なる程同館では出入りの段階での厳しい入場制限はなかつたものと認められるけれどもこれは同館の設置目的から当然不特定多数の観衆等施設の利用者に開放されなければならないという要請および入館しようとする者の大多数は同館内の展示物を観覧するために来館したものであろうと予想されるところからであつて、右のことをもつて同館を「人の看守する」建造物といえないとすることができないことは前に述べたことから明らかである。弁護人は上野駅正面玄関ホールについて、営業時間中は人の看守する建造物とはいえないとした判決の例をあげるが、この場合については事実上全く自由に人の出入りを許しているばかりでなく、特に人の出入りを監視したりあるいはみだりに人の出入りすることを防止し得るための人的物的態勢もなく、それこそ一般道路とほぼ同様に考えられる事例であり、本件と同一に論ずることはできない。その他弁護人は、被告人につき住居侵入罪が成立するとすればまず被告人の万国博会場入場につき問題にすべきであるかのごとく主張をするが、(証拠略)によれば万国博会場自体刑法一三〇条に掲げる行為の場所のいずれにも該当しないものと認められるので右主張は問題にならない。よつて弁護人の右(一)の主張は採用できない。

(二)について。弁護人は、「中華民国館には数百名の警備員や係員が配置されていたが、入口から蒋介石総統夫妻の肖像写真が置かれている部屋に至るまで警備員や係員の眼の前を堂々と通行していたにもかかわらず、誰からも立ち入りと歩行を禁止、制限されたこともないし、退去を求められたこともない。これは要するに同館としても被告人の立ち入りや歩行自体に対しては明示又は黙示の承諾を与えていたからに他ならない。」旨主張する。

ところで建造物侵入罪の保護法益は法的な権利というよりもむしろ事実上の建造物の平穏であると解されるが、このように解しても建造物に立ち入ることにつき看守者の承諾(又は推定的承諾)のある場合は事実上の平穏は害されないと考えられるので同罪の成立は否定される。前掲各証拠によれば、被告人は判示のとおり不法目的を抱きつつ、その意図を隠し一般観衆を装つて中華民国館に入館したこと、被告人が同館に入館する際同館の入口付近には同館の警備員や係員が幾人かいたけれども、誰からも立ち入りや歩行につき何ら制限、禁止をされていないことを認めることができる一方、同館の設置目的は万国博の展示館として展示物を入館者の観覧に供することにあり、同館管理者としては入館者が展示物観覧のために入館するものであることを期待し予想していることが認められ、社会通念上も展示館入館者は館内の各種展示物を観覧することを目的としていると考えられる。従つて同館の警備員や係員が被告人の同館への立ち入りや館内での歩行を禁止制限しなかつたのはこれを許容あるいは黙認していたのではなく、その不法な意図を知る由もない右警備員等において被告人を善良な一般観衆とみて怪しまなかつたからにすぎず、(証拠略)によれば被告人の不法目的を知ればすぐに日本の警察に連絡して逮捕して処置してもらうとのことであり、又館内の警備については、館長の管理のもとに副館長兼安全組長である魏以下三百人前後の警備係員が館内各所に配置されていたことが認められ、被告人のごとき不法目的を持つ者に対しても入館を認めるということでは決してなく、同館管理者において、その意図を知れば結局入館は許されなかつたはずであつて、同館の警備員や係員としては単に被告人の入館や歩行を禁止、制限しなかつたにすぎないものと言わなければならない。

弁護人は又、「建造物侵入罪の成立のためには事実上の建造物の平穏を害する態様での立ち入りが必要である。すなわち主観的に違法な目的で立ち入ることおよび行為の客観的側面から評価しても事実上の建造物の平穏を害する行為であることを要する。そして官公庁や百貨店、映画館のごとくその入場につき格別の制限がなく一般公衆が自由に出入りすることを許されている建造物においては、人の住居等のごとく一般人の出入りが厳格に管理者の承諾にかかる場合とは本質的に異なり、その入館に際して管理者の制止を排除し、あるいは公示された立ち入り禁止の意思表示を無視するごとき態様で侵入するごとき場合を除き、一般的にその態様が平穏である限り立ち入りそのものの違法性をうんぬんすることは許されない。ひるがえつて被告人は中華民国館の営業時間中に万国博会場内にはいり、他の公衆と同じ入口から係員の明示又は黙示の承諾のもとに平穏に同館に立ち入り順路どおり歩行していたこと、その際の被告人の服装や挙動にも何ら他の公衆と異なつたものはなく、被告人を見て誰も不安に感じた者もなく、被告人の同館への立ち入り自体によつて何ら同館の事実上の平穏は破壊されてもいないし又その脅威もなかつた。」旨、およびさらに続けて「(仮に事実上の平穏ということにつき右のような考え方をとらないとしても)本件の立ち入り態様は、ただ小型のモンキーレンチをダスターコートのポケツトに所持していたというにすぎないのであり、日本刀や拳銃あるいは火炎びんや爆発物を所持して立ち入ることとは本質的に異なり、いまだ住居侵入罪が予定する可罰的違法類型に該当しないものというべきである。」旨主張する。

ところで建造物侵入罪の構成要件に該当する行為は、人の看守する建造物にその事実上の平穏を侵害する態様で立ち入ることであつて、立入り行為を主観、客観の両面から綜合的に考察し、それが建造物の事実上の平穏に対する侵害、脅威を与える態様のものであることを必要とすると解せられる。さて本件の中華民国館は、その立ち入りが厳格に管理者の承諾にかかり承諾を得ている者の出入のみが違法性を欠きそれ以外の一般人の立ち入りが原則として違法性を帯びるところの人の住居等の場合と異なりその展示物を観覧しようとする一般観衆が格別の制限なしに自由に出入することを許されている建造物であることは弁護人の主張する通りであるけれども、右のような一般観衆に公開されている建造物であつても、これに立ち入る際既に、管理者の承諾の予想せられないような右建造物の事実上の平穏を侵害する不法な意図を持ち、右意図を実現するための用具を隠し持つて入館するような場合にはその立ち入りは右建造物の事実上の平穏を侵害する態様における立ち入りであると解するべきであり建造物侵入罪の構成要件を充足するものであるといわなければならない。

けだし右のような建造物に立ち入る者が右のような不法な意図を秘しあたかも一般の善良な観衆の風を装い且つ右意図を実現するための用具をかくし持つて入場する場合といえども、右のような意図及びこれを実現するための用具を明示しながら立ち入る場合に比し、建造物の事実上の平穏に対する脅威、侵害を与えることに差違はなく、右両者を区別する合理的な理由は全く存しないからである。これを本件についてみるに、被告人は判示のとおり主観的には中華民国館に出展の予想された蒋総統の肖像類その他を損壊する目的を抱き、客観的にはモンキーレンチ一本を右目的遂行のためにダスターコートのポケツトに隠し持つて同館に立ち入つたものである。まず主観的な面から検討するに事実上の平穏の意義は一般的には建造物内において自由に意思決定し、自由に行動するための平穏と解すべきであるところ、同館のごとく一般公開中の建造物においても、暴力的破壊的性格をもつた行為は右趣旨の平穏を害すること明らかであるから、被告人が本件において蒋総統の肖像類その他の損壊を目的としたことは建造物侵入罪の主観的要件としての建造物の事実上の平穏を害する不法目的に該当する。次に客観的な面からみてみるに、本件は建造物侵入罪の客観的行為態様としては事実上の平穏に対する侵害が表面的・外面的に明白でない場合であるが、前述のように建造物の事実上の平穏に対して脅威侵害を与えるものであることは明白である。なるほど本件のモンキーレンチは工具の一つでありその用法に従えば危険性は高いとはいえず肖像類その他の損壊という不法目的に使用するという点を除外して考えればモンキーレンチを持つて立ち入ることは特に危険でもなく、事実上の平穏を害するものとも考えられない。しかしながら本件の場合は被告人はモンキーレンチによる肖像類その他重要出展物の損壊という不法目的を抱いていたのであつて、モンキーレンチの所持の意味も右不法目的に使用するという点を除外して考えることはできない。そこで被告人の右不法目的と照し合わせて考えれば本件モンキーレンチは一個の凶器であり、その所持はこの場合日本刀の所持と本質的には変わりなく危険性を徴表し、本件建造物の事実上の平穏に対して脅威、侵害を与えているとみられる。結局被告人の本件立ち入り行為はその主観・客観の両面から評価して建造物侵入罪の「故なく侵入し」たというべきことになる。よつて弁護人の右(二)の主張も採用できない。

(三)について。弁護人は万国博反対の主張は誰でもできること、被告人は万国博に反対する昭和四五年三月一五日の集団示威行進が大阪府公安委員会で不許可にされ、大阪地方裁判所もこれに対する不服申立を却下したことから平穏な表現手段を奪われたのでやむなく本件のごとき直接的行為に出ざるを得なかつたこと、結果的には実害がなかつたこと、政府の万国博に対する政策への一つの批判活動であり表現方法であること等をあげて、本件行為は全体的に適法なもので違法性はないと主張する。

もとより、国民が政治的主張をすること、政治に対し批判、抗議活動をすること、具体的に本件に即して言えば万国博反対等の主張をすることの自由は日本国憲法の保障するところである。しかしながらいかなる形式・方法も絶対無制限に許されるものでなく、その行為が場所・方法・状況その他から明白かつ現在の危険を生じ、公共の福祉に反する場合はもはやその表現方法は憲法の保障するところでないということも又当然である。そこで本件につき検討するに、被告人の本件行為は憲法の保障する表現の自由の範囲を明らかに逸脱した違法なものである。弁護人は、万国博反対デモが不許可になつたことが本件行為の動機になつているごとく主張するが前記被告人の検察官に対する供述調書によればそのような事実はないばかりか、右事情が仮にあるとしても、さらに又弁護人主張のように政府の万国博に対する政策への一つの批判活動であるとしても目的の合法性はその手段まで合法化するものではなく法は本件のように行為の場所・方法・状況に照らし、建造物内の平穏を害し混乱を誘発する危険性の高い行為を許容するものではない。又前掲各証拠によれば結果的には蒋総統夫妻の肖像写真前のアクリル製ガラスは割れなかつたけれども、一時的にせよ中華民国館内の混乱をひきおこし関係者に対して精神的打撃を与えたことは認められるのであるから実害がなかつたともいえず、結局いずれの点からも本件の違法性を阻却するものではない。よつて弁護人の右(三)の主張も採用しない。

(四)について。弁護人は本件起訴の不当違法を主張するが、以上判示のとおり被告人の本件行為は刑法一三〇条の建造物侵入罪に該当し、かつ違法性がないとはいえないのであるから検察官が本件行為を起訴したことをもつて非難することは正当でない。よつて弁護人の右(四)の主張も採用しない。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法一三〇条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するので、所定刑中懲役刑を選択し、その所定刑期の範囲内で処断すべきところ、被告人の本件行為は判示のとおり憲法の保障する表現の自由の範囲を逸脱するもので、その刑責は免れがたく、その行為によつて万国博の中華民国館内において混乱を誘発する危険性をもたらしたこと、中華民国館関係者はもとより、万国博主催者、観衆に与えた精神的影響も無視できないところであるが、被告人の本件立ち入り行為自体は原則としてみだりに立ち入ることの許されない通常の住居等の場合と異なり建造物侵入罪の行為類型として違法性の高度なものではないこと、幸いにも警備担当者の迅速、適切な措置により被告人はアクリル製ガラスを一回殴りつけたにとどまり、出展物その他に全く危害を与えるに至らず、館内に大きな混乱を誘発することもなく終わつたこと、その他被告人の年令等諸般の情状を総合考察して、被告人を懲役二月に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中三〇日を右の刑に算入することとし、右の情状により同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から一年間右の刑の執行を猶予する。訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項本文により被告人の負担とする。

よつて主文のとおり判決する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例